大判例

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東京高等裁判所 平成3年(行コ)47号 判決

控訴人

加藤和子

右訴訟代理人弁護士

大竹秀達

右同

吉川基道

右同

中村誠

被控訴人

地方公務員災害補償基金東京都支部長

鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士

大山英雄

主文

一  原判決を取消す。

二  被控訴人が控訴人に対し地方公務員災害補償法に基づき昭和五九年二月一三日付でなした公務外認定処分を取消す。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一申立

一控訴人

主文と同旨

二被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二事案の概要

次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実及び理由の「第二 事案の概要」欄記載のとおりであるから、これを引用する。

一原判決二頁一〇行目の次に行を改め次のとおり加える。

「 本件は、控訴人が、東京都立高校の教諭をしていた夫の死亡が公務上の災害に当たるとして、被控訴人のなした公務外認定処分の取消を求めた事案である。」

二同三頁四行目から同六行目までを次のとおり改める。

「 美水は、昭和五五年四月一六日午前九時ころ、同校の第三棟二階の教室へ行こうとした際、階段のところで気分が悪くなり(後記のとおり狭心症の発作と認められる。)、同九時三〇分ころ、救急車で原町田病院へ搬送され、同病院で受診したのち、同一〇時三〇分ころ帰校し、当日予定されていた同校生徒全員を対象とする身体計測等の公務に従事した。美水は、翌一七日午前八時二〇分ころ、出勤した後、関東中央病院に行って受診し、午後二時三〇分ころ帰校し、保健部担当の教諭と予算請求についての打合せ等をしたのち、同三時三〇分ころ、同校用務員室において、清掃用具の数を調べてメモをしていた際心筋梗塞を発症し、同四時三五分ころ死亡した(以下「本件災害」という。)。」

三同四頁四行目の次に行を改め次のとおり加える。

「1 控訴人の主張

美水は、昭和五四年度三学期において平常勤務のほかに運動場の整地等の強度の肉体的負担を伴う公務、卒業式の準備の実質的責任者や卒業式の進行係を果たすなどの精神的負担を伴う公務をそれぞれ遂行し、春休中も次年度担当の保健部の仕事や連日の野球部の指導を行い、一年で最も多忙な新学期に入り、四月に集中する保健部の仕事のほか、体育の授業、野球部の指導を遂行するなかで、肉体的・精神的疲労を蓄積させていたところ、異常な寒冷気候のなかで多忙な身体計測等の公務に従事したことが、四月一六日の狭心症の発症、一七日の心筋梗塞の発症による死亡へと急激な病状の進行をもたらしたものであるから、本件災害と公務との間に、合理的関連性ないし相当因果関係が存し、いずれも公務上のものというべきである。とりわけ、四月一七日の心筋梗塞の発症とこれによる死亡は、前日の狭心症の発症後の過重な業務負担と不適切な事後措置等の健康管理体制の欠陥によるものであって、公務との間に合理的関連性ないし相当因果関係が存することは明らかである。

2 被控訴人の主張

美水には、死亡当日である四月一七日及びその前日は勿論のこと、死亡前二か月間に、その担当した公務につき、発生状況が時間的に明確な災害に該当する事実はない。また、経験則上、美水の担当した公務が、その身体に対し、長時間また長期間にわたって、徐々に生起しまたは作用したと思われる危険が具現化したと認められる災害に該当する事実もない。また、美水の行った公務は、いずれも教職員としての通常の職務の程度を超えていない。したがって、美水の心筋梗塞による死亡は、同人の高血圧症等の素因とか環境によるものとみる方が極めて自然であり、同人の死亡が公務上の災害によるものであるとする控訴人の主張は理由がない。」

第三争点に対する判断

次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決事実及び理由の「第三 争点に対する判断」欄記載のとおりであるから、これを引用する。

一原判決四頁七行目から同六頁四行目までを次のとおり改める。

「  地方公務員災害補償法にいう「公務上死亡」とは、公務と死亡との間に相当因果関係が存すること、換言すれば死亡が公務遂行に起因することを意味し、また、これをもって足りるというべきであって、必ずしも死亡が公務遂行を唯一の原因ないし相対的に有力な原因とする必要はなく、当該公務員の素因や基礎疾病が原因となって死亡した場合であっても、公務の遂行が公務員にとって精神的・肉体的に過重負荷となり、基礎疾病を自然的経過を超えて急激に憎悪させて死亡の時期を早めるなど基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を発生させたと認められる場合には、右死亡は「公務上の死亡」であると解するのが相当である。以下、これを基に、美水の死亡が「公務上の死亡」に当たるか否かについて検討する。」

二同六頁五行目の「死因」を「原因」と、同一〇行目の「ただし、」から同七頁一行目までを「心筋梗塞は、安静時ないし睡眠時に発症することが多く、この時期に発症するものが約六〇パーセントを占めており、肉体労働でその発症をみることは少ないとの報告もあるが、他方、この点について、就寝中の心筋梗塞の発症は約二六パーセント、労作後の発症は約四三パーセントとする報告も存在し、その発症の誘因として運動負荷を無視することは相当でない(特に、後記のとおり、不安定狭心症の場合には、不用意な運動負荷をかけると心筋梗塞に移行する危険性が高い。)。」と各改め、同九行目の「乙」の前に「甲第七号証」を、同行目の「五七号証」の次に「、証人衣笠恵士、同長谷川吉則」を各加え、同八頁五行目の「あった」を「あり、定期的血圧測定の特別指示を受けていた」と改める。

三同九頁七行目の「糖尿病の既往は明らかでない」を「また、糖尿には食事性糖尿、腎性糖尿など無害のものがあるから、美水の糖尿病の可能性は少なく、仮に糖尿病であったとしても、よくコントロールされていた」と、同一〇頁二行目「あった」を「あるところ、心筋梗塞を発症した人の年齢は半数以上が六〇歳代の後半で、五〇歳代は比較的少ない」と、同一一頁五行目、同六行目の「第五七号証」を「第五四号証、第五七号証、証人小須田達夫、同上畑鉄之丞、同衣笠恵士、同長谷川吉則」と、同一二頁一〇行目の「二一号証ないし第二三」を「二〇号証ないし第二四号証、第二七」と、同一三頁七行目の「四月五日」を「三月」と、同一四頁六行目の「二七」から末尾までを「二二号証、第二六号証、第二七号証、第二九号証ないし第三五号証、第三八号証、第三九号証、」と各改め、同七行目の「証人」の次に「宮崎和枝、同」を加える。

四同一五頁三行目の「第四時限はカットのうえ」を「第三時限までに」と、同一七頁一行目の「られ、」から同四行目までを「られるところ、これに前記美水の症状を総合すると、同人は狭心症の発作を起こしたものと考えられる。」と各改め、同一一行目の「行った。」の次に「そして、十分な休憩がとれないまま、」を、同一九頁三行目の「させた。」の次に「その間、美水は、全く休憩する暇もなかった。」を各加える。

五同一九頁九、一〇行目を次のとおり改める。

「 美水が、前記のとおり狭心症の発作を起こし、救急車で病院に運ばれるような事態に遭遇したのに、帰校後休暇をとることなく、右のような公務を続けたのは、当日行われた身体検査の総括的な責任者であり、かつ、全生徒の身長と座高の、男子生徒の胸囲と体重の測定責任者であったうえ、保健部清掃係の責任者として、四月一四日に予定されていた一、二年生に対する清掃用具の配付が遅れており、早急にこれを実施する必要があったし、また、財務委員会に提出すべき各部の予算請求の締切が四月一九日に迫っていたため、購入を要する清掃用具の数等を確認し、速やかに購入計画を作成する必要に迫られていたためであった。

(当事者間に争いがない事実、甲第二号証、乙第一号証、第五号証、第八号証ないし第一〇号証、第一七号証、第一八号証、第三七号証、第四五号証、証人柴垣里志、同樋口正元、控訴人本人、弁論の全趣旨)」

六同二〇頁六行目の「疾患」の次に「(狭心症様発作)」を加え、同二二頁一行目の「乙」から同二行目までを「第五号証、乙第二号証、第一一号証、第一二号証、第一九号証、第二九号証、第四五号証、証人柴垣里志、同小須田達夫、弁論の全趣旨)」と改める。

七同二四頁五行目の次に行を改め次のとおり加える。

「7 狭心症

狭心症とは、主として冠動脈硬化により血液が流れ難くなって発作が起きた状態をいう。

狭心症は、(一)その発症の誘因から労作狭心症(労作が誘因となっているもの)、安静狭心症(安静時に発症するもの)及び労作兼安静狭心症(両方の性質を兼備えたもの)に、(二)心筋梗塞への進行の危険性から不安定狭心症(初めての狭心症、増強型の狭心症、発症して間もない安静狭心症からなっている。)と安定狭心症とに各分類することができる。不安定狭心症は、急性心筋梗塞に進行し易いから、入院のうえ強力な治療と同時に安静を必要とし、不用意に運動負荷をかけると心筋梗塞となる可能性が極めて高い。しかし、不安定狭心症でも、入院のうえ、適切な治療を受け、安静にすれば、心筋梗塞に進行するのは、そのうちの約一〇パーセントにすぎず、更に右心筋梗塞によって死亡する者は全体の約四ないし五パーセントにすぎない。

美水は、前記のとおり、X線間接撮影や授業の連絡のため、第三棟二階の教室に行こうとして階段で狭心症の発作を起こしたものであり、また、初めての狭心症であったから、同人の狭心症は、右分類における労作型の不安定狭心症に当たる。したがって、美水は、四月一六日の狭心症を発症後、直ちに入院して適切な治療を受け、安静にする必要があった。そして、美水が右のような治療を受け、安静にしておれば、心筋梗塞が発症しなかった可能性が高く、さらに万一心筋梗塞に移行したとしても、これにより死亡する確率は極めて低かったものと考えられる。

しかし、現実には、四月一六日と同月一七日の心電図を比較すると、四月一七日のST波の低下の程度は四月一六日よりも大きくなっており、その間に狭心症が進行していた。

(甲第五号証、第七号証、第八号証、乙第一〇号証、証人上畑鉄之丞、同長谷川吉則)」

八同二四頁七行目から同二五頁四行目までを削除し、同五行目から同七行目の「られる」までを「確かに、昭和五四年度末から昭和五五年四月一六日の狭心症の発作を起こすまでの間に、卒業式、入学式等の行事があり、右公務が美水に相当の精神的・肉体的緊張を与えるものであったことは否定することができない」と、同九行目の「あったこと」を「あって、同僚教諭と比べて過重なものであったとはいえないこと」と各改め、同二六頁三行目の「死亡前日に至るまで、」を削除し、同六行目の「本件災害」を「四月一六日の狭心症の発作」と改める。

九同二六頁一〇行目の「の遂行」から同二九頁一一行目までを次のとおり改める。

「と四月一六日の狭心症の発症との間に相当因果関係を認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

しかし、前記認定の事実によれば、美水は、四月一六日労作型の不安定狭心症を発症したため、入院のうえ、適切な治療と安静を必要とし、不用意な運動負荷をかけると心筋梗塞に進行する危険の高い状況にあったにもかかわらず、帰校後、前記のような理由からあえて身体検査等の公務に従事せざるを得なかったものであり、翌日も予算請求の締切が迫っていたこと等の事情から病院での検査後も公務に従事せざるを得なかったこと、しかも、美水の従事した右発作後の公務は右のような身体的状況にあった美水にとって、当日の気温が寒冷であったことも相まって、極めて過重な精神的・肉体的緊張をもたらしたものであったこと、美水が、狭心症の発作後、入院のうえ、適切な治療を受け、安静にしておれば、心筋梗塞を発症し、死亡する可能性は極めて少なかったこと、翌一七日の関東中央病院での受診までの間の症状の悪化は、狭心症の発症状後、安静にすることなく右のような公務を継続したためであることが認められ、右事実からすると、美水の心筋梗塞とこれによる死亡は、四月一六日に発症した狭心症が前記公務に伴う負荷によって自然的経過を超えて急激に憎悪し、狭心症と右公務が共働原因となって発生したものというべきであるから、美水の死亡と公務との間に相当因果関係を認めるのが相当である。

なお、乙第五六号証の一及び証人衣笠恵士の証言によれば、医師衣笠恵士は、美水の発症時の業務内容は、特に過激又は過重なものとは認められず、職業人にとって、通常の業務範囲に属するものであり、美水は、たまたま勤務中の職場で不安定狭心症より心筋梗塞を発症し死亡するに至ったにすぎないと鑑定意見を述べているけれども、美水の狭心症発症後の公務の遂行が心筋梗塞への移行に及ぼした影響の有無について十分な検討がなされていない疑いがあるうえ、同医師は、急性心筋梗塞は、安静時ないし睡眠時に発症することが多く、この時期に起こるものは合わせて約六〇パーセントである旨の報告をも右意見の一つの根拠としているが、この点については、前記のとおり就寝中の心筋梗塞の発症は約二六パーセント、労作後の発症は約四三パーセントとする報告も存在することなどに照らしてそのまま採用することはできない。

したがって、美水の死亡は、単なる公務の機会に発生した偶然の出来事ではなく、公務上の死亡であると認定するのが相当である。」

第四結論

以上のとおり、被控訴人の本件処分は違法であって、その取消を求める控訴人の本訴請求は理由がある。これと異なる原判決を取消したうえ、控訴人の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官時岡泰 裁判官大谷正治 裁判官板垣千里は、転補につき署名・押印することができない。裁判長裁判官時岡泰)

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